昭和の頃 [ココロ目]
自宅待機時間でTVの視聴が増えた。
過去の番組が再放送されているのが新鮮ですが、放送年度を見るとかなり昔の放送です。
その中の「突然あらわれ突然去った人〜向田邦子の真実〜」で妹さんに料理屋を任せ妹さんの暮らしが立つようにと配慮した話が当人の和子さんが語ってた・・・
過去の番組が再放送されているのが新鮮ですが、放送年度を見るとかなり昔の放送です。
その中の「突然あらわれ突然去った人〜向田邦子の真実〜」で妹さんに料理屋を任せ妹さんの暮らしが立つようにと配慮した話が当人の和子さんが語ってた・・・
シナリオライターとしてどのテレビ局にも便利な赤坂に「ままや」という名のご飯屋さんは昭和53年開店でした。
なんか聞いたけことのある店名で、もしかしてコースター持ってるかも・・・ということで探す。そういえばクーさんのコースターと一緒にファイルした覚えがあるのです。
なんか聞いたけことのある店名で、もしかしてコースター持ってるかも・・・ということで探す。そういえばクーさんのコースターと一緒にファイルした覚えがあるのです。
剛さんグッズと一緒だったので捨てずに健在な「ままや」のコースターでした。
当時は全く向田さんを知らずいたがお得意様の女性社長に連れられて行った記憶が蘇ってきた。実業家として成功されてたその方にとっては向田邦子さんの生き方に共感されていたのでしょうね。自分には猫に小判な体験をさせて頂いたようです。昭和56年8月22日飛行機事故で亡くなられた後で妹さんがお店を閉める直前の頃に行ったのです。向田作品はその後年数が経ってから「眠る杯」「夜中の薔薇」「思い出トランプ」を読んで母親世代の生きた昭和という時代を知ることになった。
今頃になって番組を通して向田邦子の生き様を復習している。
敗戦後の昭和の高度成長を走り抜いた女性目線の世の中の不条理や男社会で自分を貫く困難を描いた作品でしたから。
あらためてお洒落で素敵な生き方をした女性なことを知り、向田さんの聖地ともいえるお店へ連れて行ってくださった社長さんの配慮に感謝です。
それにしてファンでもない自分の手元で意味も分からず捨てられもしないでいたこのコースターがなければ生涯社長さんの配慮も知らずにいたのです。
クーさんコースターは2006年の堂本剛ソロプロジェクト「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」は平成で15年前になるのです。
「平成」が終わり「令和」です、昭和は益々遠く光り輝く時代になりつつあります。
当時は全く向田さんを知らずいたがお得意様の女性社長に連れられて行った記憶が蘇ってきた。実業家として成功されてたその方にとっては向田邦子さんの生き方に共感されていたのでしょうね。自分には猫に小判な体験をさせて頂いたようです。昭和56年8月22日飛行機事故で亡くなられた後で妹さんがお店を閉める直前の頃に行ったのです。向田作品はその後年数が経ってから「眠る杯」「夜中の薔薇」「思い出トランプ」を読んで母親世代の生きた昭和という時代を知ることになった。
今頃になって番組を通して向田邦子の生き様を復習している。
敗戦後の昭和の高度成長を走り抜いた女性目線の世の中の不条理や男社会で自分を貫く困難を描いた作品でしたから。
あらためてお洒落で素敵な生き方をした女性なことを知り、向田さんの聖地ともいえるお店へ連れて行ってくださった社長さんの配慮に感謝です。
それにしてファンでもない自分の手元で意味も分からず捨てられもしないでいたこのコースターがなければ生涯社長さんの配慮も知らずにいたのです。
クーさんコースターは2006年の堂本剛ソロプロジェクト「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」は平成で15年前になるのです。
「平成」が終わり「令和」です、昭和は益々遠く光り輝く時代になりつつあります。
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