世界に出るということ [RADIO]
先人は千里眼なのです。
詳しくはこちらの「演目辞典」↓
「麒麟がくる」5月24日放送:能楽師シテ方観世流 坂真太郎
ザックリなあらすじ・・・
徳の高い明恵上人は学びを求める中国、印度行きの報告に奈良の春日大社に参詣します。春日大社で、一人の神官と思われる老人に出逢い今日の参詣が渡航の暇乞いであることを話します。老人は明恵上人に「仏も入滅されて時が経ち、中国印度に行かず春日山、比叡山、吉野金峰山もある日本を出て他国に行く必要はない」と説得します。明恵上人もこれを神託と受け止めて、渡航を思いとどまりました。老人は「それなら三笠山に天竺を移し釈尊の一生を見せよう」と約束の神託を授けて春日大社の使いであると身を明かし消えていきました。
神託の霊験はすぐにあらわれ周りに光が射し、春日野の野山は金色の輝く世界となり草も木も仏に変わる不思議な光景になります。そこに龍神が姿を見せました。釈尊の説法を聞くためにやってきた多くの神々も現れ座りました。やがて龍女が舞を舞い、三笠山では釈尊の一生が映じられ、明恵上人も中国印度へ渡るのを思いとどまりました。龍女が南へ去ると、龍神は猿沢池に飛び込み消え去りました。
いまの日本には中国印度で仏法を学ぶことより春日大社の使徒が伝えた「この国にあるものから教えを学びなさい」が現実的です。奈良に生まれ育ついうことは特別なようです。
本日のRADIOでも
「海外に憧れることなくFUNKをする」ことは「日本を海外に住む日本人に繋ぐ」「海外の方が聴いた時日本が香るようなFUNKを作りたい」と話します。
改めて思うのは世界のミュージックシーンに席巻する音楽ではなく日本の魂を感じて貰える音楽をFUNKに託していることと思うコメントでした。世界中に足止めされ日本に帰国出来ない方々にとっても歌詞も、言霊も、メロディーも何より憂を含みゆらぎの声質がFUNKにのって届いたのだと思いました。
「春日龍神」のあらすじを読んでなんとなく堂本剛の音楽への視座、生き方に似てるな、と感じてはいたのですが海外在住の方のメールにより国外から見た日本の良きことを教えてもらえたのでした。
大きな湯船に浸かること、通じる言葉と心に響く声で音楽が聴けること、不自由な生活の中でも至福は見つけられるのでした。
龍神は猿沢の池に戻るのです。
尋ねても尋ねてもこの上嵐の雲に乗りて。
龍女は南方に飛び去り行けば。
龍神は猿沢の池の青波蹴立て蹴立てて。
その丈千尋の大蛇となって。
天に群り地にわだかまりて、池水を返して。
失せにけり。
龍神さん奈良にいてはる。
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