Sorrow of the King [ココロ目]
嘆きのキング
Sorrow of the King
作詞:藤間実作曲:中島安敏編曲:川口真
銀色の 翼を持ち
銀色の 靴を履いた
世界でichibanの Kingがいる
Wo-Wo-Woo-Woowo
銀色の 靴を履いた
世界でichibanの Kingがいる
Wo-Wo-Woo-Woowo
薔薇色の夢みせて
愛の手を 伸ばしながら
独りでKingは
叫んでいる
Wo-Wo-Wo-Woo---Woo-wo
オマエの為だと信じたが
やっぱりオマエも逃げてゆく
Kingの心を知らないで
どうして逃げてゆく
Wo-Wo-Wo-Woo---Woo
やっぱりオマエも逃げてゆく
Kingの心を知らないで
どうして逃げてゆく
Wo-Wo-Wo-Woo---Woo
哀しみのコートを着て
悲しみの後ろ姿
独りでKingは 啼いている
Wo-Wo-Wo-Woo-Woo--Woo-woo
歌:The Taxman
The Taxman
1948年生まれの京都東山高校生上月、吉見と他の3人組「スペクターズ」としてバンド結成
ビートルズのアルバム「リボルバー」収録曲からバンド名を「The Taxman」とし5人組で音楽喫茶「大阪ナンバ一番」(現在TSUTAYA)アマチュアで活動し人気を得る
内田裕也の誘いでザ・タイガースが東京へ拠点を移動したことに伴い
大阪でのマネジャーがThe Taxmanを後釜に選びサポートするも
1967年東京へ1968年「恋よ恋よ恋よ」レコードデビュー
シングルの2枚目が「嘆きのキング」演奏はスタジオオーケスラ
所属の日本コロンビアが強いるのは歌謡曲路線
メンバーがジャズ喫茶のライブ活動で演奏するのは
アニマルズ他、海外アーティストのコピー
オリジナルはほとんど演奏しない
実力のある本格派ROCKコピーバンド活動中、GSブーム衰退期で20代を迎えメンバー間でバンド活動、音楽への期待も無くなり1969年自然消滅状態で新宿ラ・セーヌで解散発表
翌年、1970年大阪万博には内田裕也に呼ばれた上月潤がフラワー・トラベリン・バンドで出演
万博で共演した海外グループのライトハウスに認められグループはカナダデビュー
1948年生まれの京都東山高校生上月、吉見と他の3人組「スペクターズ」としてバンド結成
ビートルズのアルバム「リボルバー」収録曲からバンド名を「The Taxman」とし5人組で音楽喫茶「大阪ナンバ一番」(現在TSUTAYA)アマチュアで活動し人気を得る
内田裕也の誘いでザ・タイガースが東京へ拠点を移動したことに伴い
大阪でのマネジャーがThe Taxmanを後釜に選びサポートするも
1967年東京へ1968年「恋よ恋よ恋よ」レコードデビュー
シングルの2枚目が「嘆きのキング」演奏はスタジオオーケスラ
所属の日本コロンビアが強いるのは歌謡曲路線
メンバーがジャズ喫茶のライブ活動で演奏するのは
アニマルズ他、海外アーティストのコピー
オリジナルはほとんど演奏しない
実力のある本格派ROCKコピーバンド活動中、GSブーム衰退期で20代を迎えメンバー間でバンド活動、音楽への期待も無くなり1969年自然消滅状態で新宿ラ・セーヌで解散発表
翌年、1970年大阪万博には内田裕也に呼ばれた上月潤がフラワー・トラベリン・バンドで出演
万博で共演した海外グループのライトハウスに認められグループはカナダデビュー
Flower Travellin' Band
世界へ日本のROCKグループが英語詞で初めて登場し評価される
GS時代とSatoriのギャップがエグいのです