浜辺の少年たち [RADIO]
先週に続き昨日のFM東京PM2:00
山下達郎のサンデーソングブック
特集は
続・初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画フォーリーブス
1966年、初代ジャニーズがロスのスタジオで録音。当時のアメリカポップスに詳しい知人にもお願いして番組を聞いてもらいました。
自分的にはジャニーさんの「音楽への傾向性」を知る上のサンプルとしてジャニーズ、フォーリーブスの音楽を知りたかった。当時は全く邦楽に興味がない自分は、洋楽一辺倒でしたから。知人との会話で具体的なイメージだと昨年のタランティーノ 監督1969年設定「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」はロスが舞台なので音楽、ファッションはアメリカに進出を進めようとする35歳若きジャニー・喜多川さんをイメージしやすく思い起こせると。映画の主人公二人の住居はビーチボーイズのデニス・ウイルソンと仲が良いテリー・メルチャーの屋敷(レイダースのマーク・リンゼイも一時期同居)
番組で紹介のあった音源は達郎さんのホームページに掲載があります。
音源コレクターの達郎さんのストックは「NOT FOR SALE」ラジオ局等に配布される試聴盤も多く、実際には没られたのも含め改めてスゴイ珍品コレクションです。
話は達郎さん自身はまだ十代でスタジオミュージシャンとデビューするかしないかの時代で得た情報を端的に話ていた。その内容が・・・仰天のバックステージ物でした。
まず先週、ロスのスタジオで録音するもジャニーズの「英語の発音に難あり」で没になった話がありその時にたどたどしい英語なら「ちょっと待ってください」と同じじゃんと当時日本で英語の話せない風なハーフアイドルのヒット曲を思い出した。今週はその曲自体がフォーリーブスが全米にリリースしたことを知る。アメリカ国内マーケットが日系一世、二世用にハワイ音楽のアレンジというのが背景のようです。アメリカ合衆国内では人種の壁がありまず日本人では売れないと。坂木九(坂本を誤植してリリース)のスキヤキはキャピタルレーベルのお偉いさんの鶴の一声で発売された「奇跡」の一枚な話は有名です。「上を向いて歩こう」は特別だとそのことも達郎さんはサラリと触れていた。でもって単身ジャニーズ、フォーリーブスを連れて録音しても全米リリースにこぎつけたのはフォーリーブスのみ。スタジオ録音の音源を他のグループに流用されたり、フォーリーブスをカバーしたデイブ・クラーク・ファイブがヒットしたことを知ります。
メガヒットしたアソシエーションズの「NEVER MY LOVE」があおい輝彦氏の持ち歌がスタートだなんて腰抜かすよ。
番組で流れた曲リスト
1. THAT'S WHEN IT HAPPENS / THE JOHNNYS '66
2. TELL HER I LOVE HER / THE JOHNNYS '66
3. LOVE'S BREAKIN' THRU / THE JOHNNYS '66
4. YOU'RE NEAR ME / THE JOHNNYS '66
5. NEVER MY LOVE (LIVE) / あおい輝彦 "76/10/04 中野サンプラザ"
6. ちょと待て下さい / フォー・リーブス '71
7. はじめての世界で / フォー・リーブス '71
8. YOU'VE GOT WHAT IT TAKES / THE SYLVERS '73
9. DON'T LET THE SUN CATCH YOU CRYING / FOUR LEAVES '72
2. TELL HER I LOVE HER / THE JOHNNYS '66
3. LOVE'S BREAKIN' THRU / THE JOHNNYS '66
4. YOU'RE NEAR ME / THE JOHNNYS '66
5. NEVER MY LOVE (LIVE) / あおい輝彦 "76/10/04 中野サンプラザ"
6. ちょと待て下さい / フォー・リーブス '71
7. はじめての世界で / フォー・リーブス '71
8. YOU'VE GOT WHAT IT TAKES / THE SYLVERS '73
9. DON'T LET THE SUN CATCH YOU CRYING / FOUR LEAVES '72
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」より主人公がエア・ビル(高級住宅街)に邸宅を持つ落ち目の俳優リック・ダルトンの愛車Cadillac DeVille(キャデラック・ドゥビル )ジャニーさんの愛車と同じかはわからねどアメ車のシンボルです。
BGMはタランティーノ監督がお気に入り、ポールリビアとレイダースの楽曲レコードジャケットと共に登場します。初代ジャニーズを連れてロスに向かった翌年のリリースで「THE SPIRIT OF '67」から「Good Thing」「Hungry」
1965年コロンビアレコードに移籍しテリー・メルチャーによってブレイクした彼らの曲は3曲、ラストエンディングにはゲスト出演し唯一日本で動くポールリビア&レイダース見ることができたバットマンのテーマソングが流れます。
1966年と1971年ロスのレコーディング時のアメリカンポップスがジャニーさんの音楽嗜好に影響を与えてることがわかる。映画では一番に取り上げられて然るべきテリー・メルチャーと関わりのあるビーチボーイズの楽曲がセレクトされていない。あまりにリアルなことだろうからね、辣腕プロデューサーのテリーにデビューを無視されて起きた惨劇だとも言われてます。
番組を聞いてもらった知人も「ジャニーさん、凄いプロデュース、スゴイね。」のLINEが届いた。
Beach Girl1966年資生堂「太陽に愛されよう」モデル:前田美波里
The Beach Boys
全米、日本が夢中の浜辺の少年たち
ひょっとしてKANZAI BOYAやKinKi Kidsのグループネーミングのルーツもここからかな、なんてね、と思うのでした。
永遠の少年たちです。
やっぱ、ジャニーさんはスゴイです。
1965年HONDAの販促用に配布されたソノシート
リトルホンダbyジャニーズ
https://www.youtube.com/watch?v=CBgA8PWbW3Y
https://www.youtube.com/watch?v=CBgA8PWbW3Y